tosumalog~ IT的備忘とパパ的備忘を書き綴ります ~

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~ IT的備忘とパパ的備忘を書き綴ります ~

プロフィール


こんにちは、tosumaです。
私のプロフィールの詳細になります。

当ブログについて


IT関連の仕事してますので備忘的な事が残せて行けたらと考えております。

よく会社で「君の悩みはもう既に誰かが悩んでいてその人なりの答えがきっとネット上にログとして残ってる」と言ったりするので、誰かの悩みの解決の一助にでもなれたらいいな、と。自分のためのメモでもありますしね。

あとは割と以前から1つのゲームをがっつりとやってるので、その取り組みのログも残して行けたらいいかな、と。 こっちは縛りとかの要素が強くて誰の参考にもならないかもですが苦笑。

それと生活していく中での体験談や子育ての事なんかも残せたらいいかな、と。

これに絡めて、子育て始めたくらいから自分に掛ける時間も縮小傾向にあって、趣味らしい趣味もなくなってきたので、もともと大好きだったドライブ(車/バイク)、マリンスポーツ(釣り/スキューバ)、動物(ここ何年かだと虫がマイブーム)あたりは少しずつ取り組んでいきたいなと考えています。

tosumaについて


大阪で情報システムの設計・ソフトウェアの開発および販売やシステムに係るコンサルティング・教育をしています。 その他では2人(娘、息子)の子供のパパもやっております。

幼少時代


社会人になるまでは福岡で生まれ育ちました。

小学生の頃は塾&家庭教師、ピアノ、拳法、水泳と月~金で習い事に通う、まさに英才教育を受け、見事に絵に描いたような中途半端が完成しました。

あとは実家がマリン関係の自営業をしていたため、夏だけでなく真冬だろうと週末は海に連れていかれて少年時代は過ごしてました。 

それはそれは暗いうちから出発したり、くっそ寒い海に躊躇なく入って行ったり、まぁ大変でした。今思えば地獄ですね。

成人して父から「キャッチボールもせんと毎週海に連れてってすまんかった」と謝罪されたくらいです。

そのせいか精神力と体力はまぁまぁ鍛えられてきたのと、子供の頃から船の運転やスキューバダイビングをやっていたのもあってバイクとか車とか自分で運転する乗り物が好いております。

中学~高校時代


ずっと部活(陸上)やってました。 


高校受験のシーズン、1つ目標を立てました。

マリオ64でスターを120個集めたらそこから本番、頑張る」と。

当時インターネットも無い時代、基本的に勘だけで集める時代です。 やっと集まったのは受験本番1か月まえの頃。もう絶望ですよ。


達成感と絶望の板挟み。


最終的に学校の担任から1つグレード落とさせられて、何とかそこは合格。

そうなんです、マリオ64なんてちっともぜんぜんまったく役にたたなかったんですよね。なんであの情熱と時間を勉強に向けなかったのか謎ですね。


高校も部活して遊んでばかりだったので試験の順位は学年で下から数えた方が早い状態でした。たしか400人中370位とかだったかな。

で、大学受験のシーズン。

ドラゴンボール亀仙人が悟空とクリリンに世の中の厳しさを教えるために、ジャッキー・チュンとして武道会に参加して、結果的に優勝して弟子たちに一言言葉を添えて「これを言うために苦労した」とボソッと言うワンシーンがあります。

「あ、部活の後輩にこれをやりたいわ」と思った私は部活引退してから「布団で寝ない」「勉強以外しない」「携帯含め娯楽をすべて捨てる」を決起して実施。


そう、言うまでもなくアホだったんですね。


で、結果的に以下。

①朝起きたら急に動けなくなり過労で入院
②2年付き合った彼女に愛想尽かされ振られる
③担任から「あなたはおかしい」とストレート


そう、言うまでもなくアホだったんですね。


とまぁ割と失うものはあったものの、もともと成績が底辺だったのでみるみる上昇。真面目に成績の向上を体感できたのはモチベーションの維持に大いに影響してたと思いますね。

で、結果的に大学も合格できましたし、後輩に決め顔で「3年までは部活に命かけろ、勉強はそこから追い込めば間に合うんや」と伝えられて大満足。


そう、とんでもない無責任な先輩です。


高校はそんなこんなで色濃くあったので、卒業式で肩の荷が降りたのか号泣してしまった。なんか全然付き合いないはずのクラスメイトの親達も経緯知ってて泣いてた。

大学時代


大学時代はとにかくバイトばっかりやってました。

焼肉屋、ラーメン屋、祭の屋台、配達、Liveの警備など掛け持ちでやってて、長期休みのシーズンは手取り20万以上稼いでたので大学生としては金持ってましたね。

その代わり、大学行ってないので単位は持ってなかった。テストすらバイト優先して行ってなかったくらい。


高校生で過労で倒れてまで頑張ったあの日々は何だったんでしょうね。


というわけで当然、留年してしまいましたが、5年目で何とか無事卒業できました。 

あと、仲間内でツーリングサークルを結成して九州1週とかやっていたのでそれは楽しかった。

社会人時代(東京編)


ちょうどIT流行りだしたくらいだったのもあり、東京のIT企業へ就職(当時は社員200人規模くらいの会社)。

まだまだ20代前半、調子乗ってたんでしょうね、新人研修終わったタイミングの人事の面談で「この会社で一番忙しい部署に入れてくれ」と言ったところ、めでたくガチで忙しい部署に入れて頂けました。

入社して2か月目から本配属されて、その月から平均残業時間は200時間ほどでしたね。 一番ピークは計算する事すらやめてしまいましたがもう会社に寝泊まりして月に1回か2回だけ着替え取りに帰宅するだけの時期もありました。 チープな表現すると「ブラック」ですね。それもどす黒いやつ。

悲しかったのは同期の女の子たちがシャンプーの試供品とか手に入れる度に持ってきてくれたことですかね。


会社の社風的に無茶振りして乗り越えたら良し、ダメだったら切る、という感じで、当然私にも白羽の矢がたち、最も熾烈だったのは入社2年目くらいに超絶炎上案件のPMに抜擢されて、東京から富山に毎週通う日々が始まり、私以外のエンジニアが次々と倒れていくという地獄絵図でした。


社会人は精神力と体力がすべてだと確信した時期です。

その時の一緒に寝泊まりしていた先輩の「人間な、ご飯さえしっかり食べてさえいれば、そう簡単には倒れないんだぜ、だから飯を食え」が未だに心に残ってます。


で、3年経ったら辞めると決めていたのでそのタイミングで上司へ辞表を提出。

あくまでも仕事が嫌とか環境が嫌とかではなく「最初から決めてた」という理由で。

これが上司達が納得いかないとかで中々受理してもらえず、代わる代わる説得の日々。

で、一通り説得も終わったころに最後に社長からお呼び出し。


「辞めるんじゃなくて、大阪に会社作るからそこで1から作ってくれない?」と。



即答で快諾しました。





社会人(大阪編)へ続く。







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お読み頂き有難うございました。